大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(ツ)75号 判決 1964年4月18日

上告人

井上三郎

代理人

安富東一

被上告人

清水進一

代理人

松原正交

主文

原判決を破毀する。

本件を東京地方裁判所に差戻す。

理由

上告理由について、

借家法第一条の二によれば、建物の賃貸人は正当の事由がある場合でなければ解約の申入をなすことができないと定められており、右規定の趣旨は、賃貸人の一方的意思によつて、賃貸借契約を解消させることのできるのを正当の事由がある場合にのみ限定しているものであるから、右正当の事由は、解約申入のときに存在し、かつ同法第三条所定の六ケ月の告知期間終了のときまで存続することを要するものと解するを相当とする。

従つて、解約による賃貸借の終了を原因として、建物の明渡を求める訴訟においては、上記正当事由の有無については、解約申入のときから、六ケ月の期間経過までの間に存在した事情(正当事由として主張された事実が将来具体的に発生することが確実なものをも含む)によつ判断すべきものであり、解約期間経過後に生じた事由は正当事由の判断に加えてはならないのである。もつとも、解約申入当時には正当の事由がなくとも、家屋の明渡を求める訴訟提起の際、又はその訴訟の係属中に、正当の事由を具備するに至つた場合には、右訴訟の提起によつて賃貸借の存続を欲しない意思であることが明かに推測し得るのであるから、これによつて新たな解約の申入がなされたものとみなし、右正当事由を具備しれときから六ケ月を経過することによつて、賃貸借終了の効果を生ずるものと解するを相当とする。

当事者双方に存する諸事情に加えて、賃貸人が相当の立退料を支払うことによつて、はじめて正当の事由が具備せられる場合に、解約の申入の効果を生ずるのは、右立退料を支払うべき旨の意思表示がなされたときと解するか、又は現実にその履行がなされたときと解するかについては問題がある。しかしながら建物の賃貸借解約の申入れは、正当の事由を具備することによつて形成的効果を生ずるものであり、これに条件を附することは、解約の効力の発生を不確定にさせるもので、許されないのであるから、将来賃貸人が、賃借人が家屋を明渡すことを条件として立退料を支払うということは、これを考慮して、解約申入の効果の発生を認めることはできないものといわなければならない。上段判示のように、正当事由として主張された事実で、将来具体的に発生することが確実なものは、これを正当事由の判断に加えることができるものであり、賃貸人が相当の立退料を支払う旨の意思表示をなし、且つ、その支払と引換えに建物の明渡を求めているような場合には、賃貸人としては右のような立退料を支払つても、なおかつ建物の明渡を受けることを欲求しているのであり、現時のような建物の明渡を求めることが極めて困難な社会事情のもとでは、後日その意思を翻して立退料の支払をしないというようなことは、とうてい考えられないことである。従つて右立退料は将来確実に支払われるのであるから、このような場合には、立退料の支払をなすことが他の諸事情と相俟つて、客観的に相当と認められるときは、右申出立退料を支払う旨の意思表示をなしたときにおいて正当の事由を具備するに至るものと解するのが相当である。このように解すれば、賃貸人が立退料を支払う旨の意思表示をなしたときに正当の事由を具備し、解約申入の効果を生ずることになるから、このときから口頭弁論終結時までに六ケ月の期間を経過しておれば、立退料の支払と引換に家屋明渡の判決をなすこととなり、右六ケ月の期間が弁論終結後に到来する場合には、右期限の経過後に、右と同趣旨の将来の給付を命ずる判決をなすこととなる。

原判決によれば、原審は、その判示するような当事者双方に存する諸事情のほかに、被上告人が昭和三十六年十一月三十日の第一審口頭弁論期日において、立退料として上告人に対し金八〇、〇〇〇円を贈与する旨の意思表示をなし、さらに昭和三十七年十一月十三日の原審口頭弁論期日において、被上告人は立退料を金一〇〇、〇〇〇円に増額し、明渡を判決言渡から六ケ月猶予し、なお延滞賃料明渡までの賃料相当額の損害金の支払を免除する旨の意思表示をなしたとの事実を認定した上、これ等の事情を比較考量すれば、被上告人の本件解約の申入には正当の事由があり、本件賃貸借は、被上告人が昭和三十四年五月十七日到達の書面をもつて上告人に対してなした解約申入後六ケ月を経過した同年十一月十六日をもつて終了したと判断している。そして右原判決の判示とその主料とを対照すれば、原審は、上記被上告人が昭和三十七年十一月十三日の原審口頭弁論期日においてなした立退料金一〇〇、〇〇〇円を支払い、かつ延滞賃料等を免除し、明渡を判決言渡後六ケ月猶予する旨の申出に重点をおいて被上告人の解約申入を正当の事由に基くものと判断したものであることが明かである。しかしながら、上記原審の認定した立退料支払等の申出は、いずれも、被上告人が解約の申入をなした昭和三十四年五月十七日から六ケ月の期間経過後になされたものであることは、原判文上明かであるから、上段判示の理由によりこれらの事由を右解約申入の正当事由の判断に加えることは許されないものといわなければならず、原審が右各事情を加えて被上告人が昭和三十四年五月十七日になした解約申入が正当の事由に基くものと判断し、右解約申入期間後の同年十一月十六日をもつて、本件賃貸借契約は終了したとなしたのは、借家法第一条の二の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならない。

また原審は、上告人に対し、判決言渡後六ケ月以内に被上告人から金一〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのと引換えに本件建物を明渡すべき旨の判決をなしているが、右判決に対し上訴がなされ、その上訴中に右期間が経過した場合には右判決がどんな効力を生ずるかは、はつきりしないし、これを文字通り解すれば、判決言渡後六ケ月以内に建物を明渡さないときは金一〇〇、〇〇〇円の請求ができないようにも読めるが、右のような趣旨であれば右判決に対し上訴がなされた場合のことを考えれば、全くその意のあるところを解するに苦しむから、この点においても原判決が不当であることは言うを俟たない。それと同時に、原審は被上告人の申出た立退料の額が当事者双方に存する諸事情を補強して正当事由ありとするに足りる相当なものであるかどうかについても審理判断を尽くしていない。原判決には法令違背、審理不尽の違法があり、右違法は原判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決は全部破毀を免れず、論旨は理由がある。

よつて、本件上告は理由があり、上記の諸点についてさらに審理する必要があるものと認め、民事訴訟法第四百七条により原判決を破毀し、本件を原審に差戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村松俊夫 裁判官杉山孝 山本一郎)

上告理由書

昭和三八年三月一一日東京地方裁判所のなしたる本件第二審判決は左記のとおり法律に違反しておるものであります。

第二審判決は法令の適用を誤つたものであります。

第一、借家法第一条ノ二と第二審判決

借家法第一条ノ二は「建物ノ賃貸人ハ自ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其他正当ノ事由アル場合ニ非ラザレバ賃貸借ノ更新ヲ拒ミ又ハ解約ノ申入ヲナスコトヲ得ス」と規定されております。

そして、第二審判決は次の事情を解約申入れの正当事由と認定いたしております。即ち

一、控訴人が本件建物を被控訴人に賃貸する時将来控訴人方が手狭になつた場合にはこれを明渡すことの合意が成立していたこと。

二、控訴人の長男は結婚適令期にあつて縁談も起つているが結婚後は本件建物に入居させる予定であること。

三、控訴人は穏便に事を解決するため、昭和三四年一〇月二五日被控訴人を相手方として中野簡易裁判所に調停を申立てたが調停不成立に終つたこと。

四、その調停の際に控訴人から今後二年間無償で本件家屋に居住を許し、もし六ケ月内に明渡すときは金二〇、〇〇〇円を贈与する旨の提案をなしたの被控訴人がこれを拒絶したこと。

五、昭和三七年一一月一三日の第二審口頭弁論期日において控訴人は立退料を一〇〇、〇〇〇円に増類し明渡を判決言渡から六ケ月猶予し、なお、延滞賃料、明渡までの賃料相当額の損害金の支払を免除する旨の意思を表示した。

などの事情を被控訴人の右解約申入れに対抗する事由と比較すれば本件解約申入れには正当事由があるとしたのであります。併し第二審判決が正当事由として採択した右の事情の内

一、「控訴人が本件建物を被控訴人に賃貸する時将来控訴人の方が手狭になつた場合にはこれを明渡すことの合意が成立した」

と認定されたのは明らかに誤りであります。この特約の点については第一審において被控訴人は答弁書を以つてこれを否認し、且つ被控訴人本人訊問においても被控人はこの点に関し「手狭になつたら何時でも明けて貰えるかという話が原告からありませんでした」と明らかにこれを否認した陳述をしておるのであります。然らば、これは控訴人の主張のみを採用されたもので他にその特約の存在を裏付ける証拠のないのに直ちにこの特約の点について合意が成立したという認定をされたのは公正を欠くものといわなければなりません。

又仮りにこの特約があると推定されましてもこういう特約は借家法第六条に所謂賃借人たる被控訴人に不利なるものでありますから被控訴人がこの点を争う限り斯る特約は之を為さざるものと看做し控訴人の主張を認容すべき限りでないと思料いたします。

復、若し仮りに、この特約は賃借人たる被控訴人に不利なるものに非らずとしても、本件においては、解約申入当時控訴人の家族は八人であつたが第二審判決当時は一人減つて七人となつたので手狭になつたということは逆の判断と思います。

二、「控訴人の長男は結婚適令期にあつて縁談も起つてるが結婚後は本件建物に入居させる予定であること」を解約申入れの正当事由となされております。

けれどもこのことは単に控訴人の予定であり希望でありまして未だ結婚の具体性がなく又その事実の立証もありません。

第一審判決が摘示しておられる如く長男は薬剤師の資格を有し月収一万六千円も得ているので控訴人の扶養をうくることなく控訴人と別居しても独立して充分生活をなし得る能力を有する者であります。にも不拘この事情を借家法第一条ノ二の自己使用に準ずるものと解しこれを正当事由ありとなされた第二審判決は明らかに法の適用を誤つたといわねばなりません。

長男が結婚した場合これを別居させようということは、住宅難の厳しくない平時においてはおそらく望ましいことであつて、或は解約申入れに関する正当事由の一として考慮せらるる事情かも知れませんが、現在の住宅事情のもとにおいては、各人の最少限度の住居を保障することがなかなか難かしいのであつて其の実現によつて他に如何なる影響を及ぼすかを充分考慮して判断しなければならないのであります。本件において被控訴人が家屋明渡すときは被控訴人の家族は深刻な窮境に陥るのでありますから長男の婚姻ということと被控訴人の窮状とを相対的に考慮するならばこのことを正当性認定の資料にするのは間違つております。

又第二審判決は

三、「控訴人は穏便に事を解決するため、昭和三四年一〇月二五日被控訴人を相手方として中野簡易裁判所に調停を申立てたが不成立に終つたこと」

四、「その調停の際に控訴人から今後二年間無償で本件家屋に居住を許しもし六ケ月以内に明渡すときは金二万円を贈与する旨の提案をしたのに被控訴人がこれを拒絶したこと」などの事情を解約申入れの正当事由に探つておられるが控訴人が中野簡易裁判所に調停の申立をなした真意は当初無条件で被控訴人をして家屋を明渡さんためであつたしかし後にいたり二年間無償で本件家屋に居住を許すことにし六ケ月以内に明渡すときは金二万円を贈与することにしたものでこれも調停委員の勧告により渋々提案した条件であります。

けれども被控訴人は要保護者で貧困の生活をしておるものであつて壱ケ月金七百円の賃料の二ケ年分を免除されたとしても、其総額は僅かに一万六千八百円であり、又六ケ月以内に明渡す場合金弐万円の贈与をうけても其の金円を以つてしては、到底他へ移転することのできない金額であつたのでこの調停が不成立に終つたのであります。第二審判決は控訴人は「穏便に事を解決するため」調停を申立てたと判断されておるけれども控訴人の調停申立の底意は決して穏便に事を解決する目的を以つて調停を申立てたというよりも、寧ろ簡単な手続によつて明渡しの債務名義を得んがためだつたのであります。

五、「昭和三七年一一月一三日の第二審口頭弁論期日において、控訴人は立退料を一〇〇、〇〇〇円に増額し明渡を判決言渡から六ケ月猶予、なほ延滞賃料、明渡までの賃料相当額の損害金の支払を免除する旨の意思を表示した」を解約申入れの正当性を加重する資料となされたのであります。賃貸人が立退料の支払いを条件とし解約申入れの要件を補充し得ることはすでに判例の認めておるところではありますが、元来移転料の授受は家屋明渡の問題を円満に解決し一面社会問題の解決に資する所以でありまして、その移転料は飽くまでも適当なものでなければなりません。

而して本件控訴人の家族は三人であつて本件家屋と同程度の家屋に移転する場合借家の権利金敷金運搬費或は移転のために蒙る損害など考慮すれば控訴人の提供する金拾万円は決して適当とは云えません。

控訴人はその他に延滞賃料の免除、賃料相当額の損害金の支払いを免除することの条件を加えておりますが被控訴人は控訴人に対し賃料は滞納しておらないし又明渡迄の賃料を支払う意思でありますからこの条件は被控訴人を利するものではありません。

第二控訴人と被控訴人の事情判断を誤つております。

第二審判決は控訴人の主張事実と被控訴人の主張する事実の比較考量を誤つております。

即ち双方の事実を比較するならば第一審判決の謂うが如く「被告が長年賃借人としての義務履行に欠けるところがなかつたこと、原告において適当な立退先を斡旋した形跡がないこと等の事情を併せ考慮すれば、原告の解約申入れは将来倒えば被告の子供が就職、あるいは低廉な公営住宅に入居し得る見込がつくなど、なお一般の事情を備える場合はともかくとして、本件解約申入期間経過当時においては正当事由を具備していたものとは判断しがたい。」

のが妥当な判決であります。

即ち第二審判決は法律の適用を誤つたものであります。

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